必要な時に必要な人と出逢っている
小学4年の時だったと思う5歳年上の兄の影響でラジオをよく聞いていました。
その時に出逢ったのが『松山 千春』の時のいたずら という曲だった。
たまたま兄が録音してあった番組だった為、何度も何度も聞き直した。
その時は、いい唄だな。どうしてこんな高音が歌えるのだろう?と感じていた。
それを見ていた兄が、夜中のオールナイトニッポンを録音してくれて、
そのテープは擦れて薄くなるのでは? という位聞きました。北海道の足寄町と云う
田舎町に生まれ、お母さんが出稼ぎに行き、父親の存在。竹田さんとの出逢い。
同じ田舎で生まれた私にとって松山千春は憧れに変わった。
中学生。 小学校では同級生がおらず、たった一人の入学式、そして卒業式。
いきなり、30人ほどのクラスに入りどうすれば仲良くなれるのか? 嫌われないように
するにはどうすればよいのか? など考えているうちに3年が過ぎてしまった。
今では考えられないほど無口な私でした。(笑)
その中、心の支えだったのが松山千春の唄であったりコンサートを含めた語りだった。
『やらないで後悔するくらいなら、やるだけやってみよう!それでダメならば後悔はしない』
この言葉は私にとって背中を押してくれた、今も大切な言葉です。感謝しています。
デンソーに就職
高校二年の夏にふと入った進路指導室。なんとなくどんな会社から求人が来ているのだろう?
とパラパラとめくっていて、日本電装。 これってデンソー! こんな会社から来てるんだ!
と思って、進路の先生に会社案内の冊子を頂き熟読。20代で家が持てます!。
この一言で、デンソーに入りたいです! と進路指導の先生にお願いしました。
そして年が明け、3月にデンソーの採用担当の方が『今年は採用を行わない予定です。』
と伝えに来たらしく。 その際進路の先生が、『実は昨年の夏からデンソーに入りたいと
言っている学生が一人います』と伝えて頂き、無事一人の求人票が届きました。
なんという偶然でしょうか? 先生もよく忘れずに伝えて頂きました! 感謝しかありません。
最初の家の御向かいさん
22歳の誕生日に引き渡していただいた最初の家。
私の家の御向かいには「和田さん」というご夫婦が住んでおられました。
後の、私たち夫婦の仲人さんです。
お父さんは警察官で、お母さんは料理上手で明るくいつも笑顔が素敵なお母さまでした。
私の夫婦の理想を絵に描いたようなご家族で、いつも楽しい笑い声が絶えない素敵な家族でした。
一人暮らしであった私の事を、いつも気にかけて下さり、優しく声をかけて頂いたりおかずを
届けてくださったり、本当の親以上に優しくして頂きました。
嫁と結婚すると決めた時。 迷わず和田さんに仲人をお願いしました。
『私たちで本当にいいの? でも、ありがたいわ!。これで7回目になるから
区切りがいいから最後にしようかな・・・。』と思ってる。
本当に私は人との出逢いに恵まれています。 和田さんから多くのことを学びました。
ありがとうございました。
そして私の家族みんな・みんな・みんなに感謝
子供たちにそれぞれ一定の時期になると伝えてきた事があります。
父ちゃんと母さんが出逢ったのは偶然で奇跡。そして子供が授かった事も奇跡。
そして4人の兄弟が出来たことはもっとすごい奇跡。 どこか一つ、どこか一日、どこか違う
角を曲がっていたら出逢えなかったかもしれない。生まれなかったかもしれない奇跡。
せっかく頂いた命だから大切にして行こうよ! 精一杯楽しもう! と。
子供が結婚をして私の名字を名乗ってくれています。
兄が亡くなり、実家の戸籍が途絶え、どうにか信州でこの名字が残りました。
お嫁ちゃんのご家族には申し訳ない。と思っています。
そのお陰で少なくても二家族で名字が存続でき、
輪島のお祖母ちゃんに恩返しができたかな。 と思っています。
たった一度の人生。大切にそして楽しく、自分らしく!
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