今日は3月11日。忘れてはいけない日
云わずと知れた12年前の3月11日。誰もが『ウソだろ?』 と目を疑った事でしょう。
私はその日、長男『幸村くん』を車に乗せ、信大病院からの帰り道でした。(左足くるぶしの骨折)
ラジオから流れる情報を聞く限り、ただ事でないことは間違いない。
その後、5月4日から幸村くんと男二人ボランティアの旅をしたことは前にも話した通りです。
東北に行かなければいけない理由は私にもありました。 愛知県で働いていた頃、阪神淡路大震災
新潟大地震、そして私の生まれ故郷石川県輪島での大地震。いずれも行けなかった。
いや、行かなかったのです。
会社に迷惑をかけるから。休みが取れない。給料が減る。等々、行けない理由を並べて自分に
言い聞かせていた。 そんな小さな人間でした。そんな自分が嫌で嫌でしかたなかった。
3月11日。あの映像を見てようやく、『情けない自分からなりたい自分に変わろう!』と思った。
幸村くんも同じだったのかもしれない。「灯りの無いトンネルの中」でもがいていた幸村くん
きっと変わりたかったに違いありません。 親子です。
気仙沼の町に入る手前。なだらかな登坂の峠を下りだしてすぐに景色は一変した。
そこまでは、本当にあの映像は実在したのか? と思うほど皆が普通に生活をしていた。
ただ、そのなだらかな坂の向こうには、・・・。口では表せない景色でした。
大きな大きなオバケみたいな重機で踏み倒し家も畑も道路も全て粉粉にしたかの様でした。
ボー然として、しばらくは車を運転することが出来ませんでした。
ボランティアセンターには沢山の人々がいて、被災された方々も皆で考えて役割を自分たちで
作り、復帰に向けて作業をされていた。 頭が下がります。
私は住宅の解体作業を担当して、津波で山の丘まで流され、引き潮で屋根が下で基礎コンク
リートが上に、上下逆転した建物の解体を任されました。
幸村くんは色んな仕事をさせて頂きました。スタッフの皆さん、ボランティア活動の仲間に
包み隠さず事情を説明して、特に看護師さんの『カホコさん』には大変お世話になりました。
のちに幸村くんが『俺、看護士になるわ!』 と頭を切り替えることが出来たのも東北の皆様の
お陰なのです。
そして今日3月11日はマダムの命日
そして3月11日は愛犬マダムの命日。
マダムと書いただけで涙が出てきそうです。私たち夫婦の娘でした。
幸村くんを育てる前に、子育ての勉強をさせて頂きました。
マダムはなんでもできました。教えれば教えただけできる子でした。
算数が得意でした。3+8=とか、3×4=とかを、ワン・ワン・ワンと吠える数で答えました。
頭の良い子でした。 (実は秘密がありましたが・・・。)
今年のGW。東北に行ってきます!
今月、嫁さんとハチャメチャくん、かいちゃんが長崎の孫達に逢いに行きます。
その代わりに。と言っては何ですが、私はGWに東北に行ってきます!
言ってしまいました。(笑)
計画では5日間。ヒッチハイクで東北をぐるっと周ってこよう!と思っています。
寝袋と、らくがき帖、マジック、テントも持って。57歳現役の旅人です。
一人ひとりとの出会いが楽しくて。 乗せて頂ける気持ちが嬉しくて。
嬉しいから大切にしていきたくて。一期一会。感謝することを大切にしたくなる為に。
今年もヒッチハイクしまーす!
気仙沼でお世話になった皆さんにご挨拶をさせて頂き、12年間年賀状を頂いている及川さん
のところに行かなきゃね!。 トイレからあのきれいな海岸が眺められる。
忘れられない。 これからも忘れない。
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