もともと地滑り多発地帯
能登を観光で周ると必ず立ち寄る場所。 と言えば輪島の朝市と千枚田あたりでしょうか?
その二か所とも1月1日の能登沖地震で大打撃を受けてしまいました。
朝市はご存じの通り火災が発生し、道路は倒壊した建物で消防車が通行できず、水利を利用
しようとしても地震の為消火栓が使えず、消火しようにも何も出来なかった。
そんな状態かと思います。
おまけに、港町の建物は杉の板張りの外壁が多くまた隣同士が密接しているため延焼する
結果になったのかな? と感じました。
実際に輪島の朝市に行ってみました。


TV等で報道されている状態と同じです。 写真を撮っている場所付近に私の従妹が美容院
を営んでいました。幸い火災延焼は目の前に河があり免れた様子でした。ですがご覧の通り
堤防もグテングテンに折れ曲がっていました。 左側の橋が『いろは橋』 と言って
現在は安全の為か通行止めになっています。
あえて火災現場まで足を入れたいと感じませんでした。近くを通ってみると焼け焦げた
匂いと、真っ赤に錆びたたくさんの車がそのままになっていて、悲しく感じました。
白米(しらよね)の千枚田
輪島市内から車で10分ほど東側(珠洲市側)に走ると、道路から海岸線まで続く棚田が
見えてきます。それが白米の千枚田になります。

2月21日現在でこの千枚田の海岸付近までが車で通行可能になっていました。
地元の方に聞いたのですが、大地震当初この千枚田ポケットパークに観光客の
皆さんを含めたくさんの方々が土砂崩れの為閉じ込められた。との事。
この件は新聞やニュースにも報道されていました。後にヘリコプターで救出され
難を逃れた様子です。
この白米地域は私の出た中学校校区になります。観光客の方々はヘリで救出され
ましたが地元白米の方はどうされたのでしょうか?
白米地区の隣町が名舟町と言って御陣所太鼓の町になります。ただその間の土砂
崩落が尋常ではないらしく、国土交通省のお役人も『難しい』と言って現場から
帰ってしまったと聞きました。その名舟町からの写真です。

見てお分かりでしょうか? 写真左側が防波堤で消波ブロックがあるので普段は
堤防付近まで波が来ています。ところが現在は沖合に50mほど波打ち際が遠く
なってしまっています。これが海が隆起したことが原因のようです。
幸いこの海岸線の隆起によって、土砂崩落した道路は通れなくなっていますが隆起した
海岸線を歩いて避難所へ移動することが出来たそうです。
今でこそ部分部分で道路が開通していますが当時は四方八方で地滑りが発生して
隔離された町があちこちで見受けられました。大変苦労されたのだろうと感じます。
窓岩が窓岩で無くなった
輪島市内から30分ほど車で東へ向かうと曽々木と言う町があります。
この曽々木地区には窓岩と言う自然に岩に穴が開いた『窓岩』と垂水の滝が有名です。
その窓岩が窓岩で無くなったと聞いて現場を見てきました。


確かに岩の中央に窓の様な穴が開いていたのですが、上段部分の岩が崩落してしまった
様です。残念ですが地震と言う自然現象で起きた事です。胸の中にある思い出に仕舞って
おきたいと思います。
垂水の滝 真浦海岸


曽々木の東側に真浦海岸があります。
その中に垂水の滝と言う海岸線に落ちる自然の滝があります。
一般的な冬場であれば滝の水が凍り氷柱となっていたり、波打ち際に強い北風にあおられ
滝の水が下から上に上がって見える事もあります。
また『波の華』 と呼ばれる打ち付けられた波の泡が北風に吹かれてぷかりぷかりと
宙を舞う現象が見られます。
今年の冬は暖かく、海岸線が隆起した事もありこの自然現象もみる事が出来ませんでした。
土砂崩落してトンネルが見当たらない
下の写真。本本来ならばトンネルがあり、トンネルを抜けると揚げ浜塩田があります。
この場所もハンパ無い土砂崩落がおきていました。
山全体に大きな力が加わって、もともと脆い地質の為か完全にトンネル入り口を塞いで
おります。元に戻すことは可能なのでしょうか?
トンネルの向こう側の方とお話が出来ました。
本来のトンネルがあれば15分で行ける買い物場所へ、今はあっちもこっちも通行止め
になっていて1時間半もかかってしまうから大変なんだ! との事でした。
能登の地質
今回改めて生まれ故郷を周ってみると、この地震で多くの土砂崩れが発生している事
に気付きます。法面に加えて、埋め土した道路の陥没と崩壊が顕著にみられます。



能登の土砂崩れ現場を見て感じました。能登には石が殆ど無い。と言う事です。
砂を固めた、又は砂そのものの地質。岩盤があるのでしょうか?
私の実家もそうですが石が貴重だった事が良く分かります。
県名は石川県。普通に考えると石がゴロゴロ現れる川だったから名付けられた。
と思います。 それは加賀地方の手取川辺りの事でしょうか?
能登地方は元々形が出来上がった歴史が違うのだろう?と感じます。
またこの町に住みたいと戻ってくる方も多い事でしょう。
今回の災害で体験した被害を無駄にしない。 そんな街の再開発が望まれます。
安心に暮らせる。こんな幸せは他に無いのかもしれません。
違う地域に住む私達も学ぶことが多い体験となりました。学ばなければなりません。
次回は色んな支援 です

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