孝行したいときには
今年の6月頃、北海道のおばちゃんから電話を頂き、輪島で皆と会いたいので旅館や飛行機の
手配をお願いできないか? 相談されました。
『はいよ!』 と簡単に返事はしたものの80才から90才のおばちゃん・おじちゃんだけど
大丈夫かしら・・・。 と思いました。
まずは、日にちと旅館の手配が先決。 9月の連休か、10月の連休が良いかな?
と思わなくもなかったが、いかんせん宿が取れない。
知り合いの代理店にお願いして問い合わせて頂くも、3か月も前なのにどこもかも
大型代理店が押さえているらしい。
そこで、おばちゃん達は働いている訳では無いので休みとか関係がないので、
私達が合わせれば良いだけなので10月9日からの平日を絡めて予約しました。
18歳まで石川県の輪島市に過ごし、毎日の様にホテル高州園の前を通っていましたが
泊まるのは初めて。 こんな機会でもなければ宿泊できませんね。
飛行機も北海道千歳から石川県小松空港までの往復。 超割引で手配完了!
あとはおじちゃん・おばちゃんへの連絡と、姉へのお願いかな。
父が亡くなり17年
父が亡くなったのは17年前。 77才でした。
昭和の大変な時期に生まれ、苦労をしてき事が想像できます。
しかし、ただの一つも『大変だったとか苦労をした』という言葉を言わない人でした。
他人のせいにしたり、愚痴やため息をついた姿を見たことがありませんでした。立派な人でした。
自分で決断して完工する。 正に『昭和の長男』でした。
病院が大嫌いで、大病をした時に大好きなタバコを止めてまで過酷なリハビリに耐え一日も早い
退院を望んだ人。ガッツのある人でした。
姉が一人、妹が四人、弟が一人の七人兄弟。 今現在妹の三人と、弟の一人がご健在です。
その一番下の北海道のおばちゃんからの依頼でした。
誰も兄弟の年齢を知らない?
我が家の家系と言えばそれまでですが、おばちゃん達ご姉妹で誰も正確な年の差を知っている
人がいないのには驚きました。生まれた順番みたいな所は知っているけどそれ以外の誕生日
とかはあまり関心がないらしい。 と言うか忘れてしまったのかもしれません。
一人のおばちゃんがいくらか認知症の気配を感じましたが、年齢からくるヒザの痛み以外は
皆さん元気元気! 食欲も旺盛! モリモリでした。
立派だな! と思いました。
昭和の戦争後の厳しい時代を乗り切って粗食で体を作り、それが当たり前で育った少年時代
贅沢とは何? と知らずに大人になって一生懸命に働いて家庭を持って子供を育てて
ようやく掴んだ幸せなひと時なんだろうな。 と感じました。
だから、誕生日や年の差なんてものは意味が無いと感じているのだろうと思います。
忘れる事の大切さ
皆さん年齢なりに少しの障害を抱えていて、与えられた試練があって、大切なドラマを
心に秘めて、前向きに前へ前へと生活されているおじちゃんとおばちゃん。とても勉強に
なりました。 20年から30年先輩の一番近い家族。
3日間だけの僅かな時間だけでしたが、ご姉妹でゆっくり温泉につかってお茶を頂き、美味しい
食べ物を頂き、お墓参りと生まれ育った家に帰って仏壇に手を合わせる。
あと何回皆が逢えるのか分かりませんが、嫌な事を忘れて楽しいひと時を過ごせていただけた
でしょうか?
実家を離れて40年
高校を卒業と同時に実家を離れて今年で40年。
祖父母、父母、兄を亡くし、兄弟は姉だけになりました。
それでも、こうして元気なおじちゃんおばちゃんに囲まれ『ひろゆきちゃん!』 と呼ばれ
孝行したいときには親は無く、せめてもの償いができたかな。 と思いました。
同じ姓を名乗るおじちゃんが言ってくれました。
『ひろゆきは四人の男の子に恵まれて、輪島の姓は途絶えたけど、残してくれた事に感謝する。』
と、『じ~ん』と来ましたね。 私も同じことを考えていました。
正にすべての方々に感謝です。
また次回楽しいひと時が過ごせるように嫌な事は忘れて元気に楽しく! 皆さまお元気で!
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