12年ぶりに東北に立つ

お風呂に入っていきなさい

5月3日の朝5時半ごろ家を出て、外にいた『心とバム』ちゃんにも声をかけて

出発しました。

40分から、らくがき帖に「佐久へ」 と書いてヒッチハイク、スタート!

道の駅のそば。とは云うものの、朝も早く行きかう車も多くは無い。

それでも15分ほどして1台のワンボックスカーが止まり、これから群馬のご自宅

へ向かっていると言う事で、方向が全く同じ。

都合の良い所で降ろして頂く事で乗せて頂きました。

約一時間程の間で色んな話をさせて頂きました。 バンドをやっていてドラムを

担当しているから『ドラ息子』 なんて呼ばれています! から始まり、反抗期の際

親に迷惑をかけてしまった事。 弟さんが心配な事。 両親の結婚記念日に沖縄旅行を

プレゼントする計画をしている事。 父の涙で感じた事、、、。

本当に良い方に巡り逢えました。 心から感謝したいと思いました。

ただ、残念なことに頂いたアドレス含め、らくがき帖ごとどこかに置き忘れてしまい

お礼のはがきを出せない状態なのです。申し訳ありません。

もし、このブログをお読みになっていましたら 私の携帯 080-8491-8685

小路(しょうじ)までショートメールを頂けるとありがたいです。

よろしくお願いします。

この後からはアドレスを頂いた後すぐに写真に収める様にしました。

失くしてしまい申し訳ありませんでした。

電車で南福島まで

一人目の方に高崎まで乗せて頂いたのにその後が上手く行きませんでした。

歩いて良い場所を探して1時間半ほど掲げては場所を変えを繰り返しました。

15キロほど歩いたでしょうか? 『今日は上手くいかない日』 と言う事にして

たまたまJRの駅の看板を見つけ、出来るだけ距離を稼ごうと両毛線と東北本線を

乗り継いで南福島まで移動しました。到着が22時くらいでした。

それから、グーグルマップで公園を探して歩く事1時間! それが急坂を昇った先

にあったため、今日俺は何キロ歩いたんだろ~。 とパンパンになった足を引きずり

ながら急坂を昇り切りました。 時間が時間の為、ご近所様に迷惑をかけてもいけない

と思い、ライトも点けず寝場所を探しました。

『公園は朝早くから散歩する人がいるから、、』 と、通りや芝の上はやめて

大きな桜の木の下で寝袋を広げてそのまま爆睡してしまいました。(笑)

野鳥のさえずりで目を覚ます

朝の4時過ぎでしょうか。いくらか空が白み

始め小鳥の元気なさえずりが聞こえだし

早々にシュラフを片付け、改めて周りを

見わたしてみると。

表紙の景色が見えました。

月明りで場所を探していた為、展望台になって

いることなど露知らず、 平らで屋根があって

もう少し歩けば東屋や、ベンチも沢山あって

我ながら、『夜遅くに着いたんだからしょうがないか!』 と自分に言い聞かせて

水道を見つけて顔と歯を磨いて国道4号線に向かう事にしました。

後で食べてね

食事はどうするの? とよく聞かれます。

私の場合、事前に行動食を作ってジプロックに小分けして大量に持って行きました。

小魚アーモンドの大袋と干しブドウ、くるみとピーナッツ、そしてサクサクのフルグラ

をミックスして手の平に乗せてパクっと食べれて、カロリーと栄養バランスに優れています。

私は災害ボランティアに参加する時はいつもこれを作って持っていきます。

国道4号線に着き、しばらく歩いて一番止まって頂けそうな場所を探します。

ところが、国道4号線。 上手に信号が工夫されていて流れが止まらないように

止まらないように作ってあります。 ヒッチハイカーにとってはこんな迷惑はありません。

60キロ位で通過されると、小さならくがき帖の文字は見えません!(笑)

くじけそうになりながら、場所を移動していると一台の乗用車が止まって頂き

『乗っていきますか!』 ありがとうございます! お願いします!

寡黙なご主人様と、大変明るい奥様。 みちのくの旅に仲間に入れて頂きました。

降ろして頂いた時に、邪魔になるかもしれないけどと言ってフレンチトーストが入った

タッパーやお菓子を頂き、後で食べてね!

車に乗せて頂いただけでもありがたいのに、食事の心配までして頂けて、

涙が出ます。 本当に皆さん優しいんです。ありがとうございました!

小泉浜ボラセン跡に到着!

その後にも色々なドラマがあったのですが次回お話しますね。

12年前の東北大震災の後、津波が届かない高さの山を削り無料の自動車専用道路が

出来上がっていました。

松島から小泉海岸まで5人のお子さんを育てているお母さんに乗せて頂きました。

そこで聞かせて頂いた沢山の被災された体験談が感動しました。次回以降必ず特集します。

小泉海岸IC 出口のセブンで降ろして頂き、そこから小泉浜ボランティアセンター跡地まで

てくてくとゆっくり景色を眺めながら歩く事にしました。

4キロほどの道のりでしたが、歩きながら

涙が出てきます。

12年前、私たちがこの場所に立った時

津波で何もかもが流され、家族も引き裂かれ

自然の力に、人間は無力である。 と言うか

東北の皆さんが何を悪い事をしたというのか!

と怒りさえ感じた時もありました。

そして12年が過ぎ、被災された方とお話し

をさせて頂き、『あっという間の12年でした。』 との事。

先ほどの5人のお子様を育てられているお母さん。 大変立派な方でした。

お若いのにしっかりされていて、助手席に乗っていた次女の女の子。

『震災の時、無我夢中で逃げてお年寄りに力を貸して子供達にも力を借りて

何とか逃げ延びた。そしてしばらくして、お腹に赤ちゃんができていることが分かった

「それがこの子!」なのです。』  感動しました。

ボラセンであいさつ回り

小泉浜ボランティアセンターに辿り着き、近所の方にテント泊する事をあいさつさせて

頂きました。 快く了承して頂き、重い荷物を一旦置かせて頂き解体工事をした跡地

手作りお風呂があった場所、皆で藪の中に入って写真や大切な思い出の品を拾い集めた事。

家が逆さまになっていた所、20人位の皆で高台の壊れた家を解体しロープで引き落とし

一つずつ分解しトラックで運んだ事、、、。 走馬灯のように思い出しました。

出逢った町の方と一人ずつ、声をかけて皆様の12年を聞かせて頂きました。

ボランティアに来ていた時はカメラを持たない。 考えだったので自分の写真は一枚も

ありませんでしたが、覚えているものですね。 ひとつ一つ紐解きながら昨日のように

思い出します。

ボラセンに戻ったところ、先ほどの近所の方に声を掛けられ、

『お風呂入っていないでしょ! 入っていきなさい! 』 ありがたいですね。

テントを組み上げた後、お言葉に甘えてお風呂を頂くことにしました。

サッパリ! と汗を流させて頂きお礼を言うと、『何にもないけどご飯も食べて行って! 

何と言う事でしょう! 食事までご用意頂いてしまいました。

『旅はみち連れ世は情け』とよく聞きはしますが、本当に嬉しかったです。

見ず知らずの57歳の旅人を、家に上げてお風呂と食事まで。 敬服いたします。

感謝しかありません。

食事はもちろんお腹いっぱいにさせて頂きとても美味しかった!

それにも増して、90歳のお祖母ちゃんとのお話が楽しかった!

震災の体験はもちろん、色んな所へ旅した事。 

『母親に親切にされた後には必ず返しなさい。』 と小さい時から教えられた事。

自分の食事を抜いてでも与えなさい!  と、、、。

このヒッチハイクの旅に共通すること。

親切を受けた後には、その恩を違う形で送り伝えなさい。

素晴らしいです。 私が旅で学んできた人情。そのものです。

見知らぬ土地での客人

夕食を頂いた後、テントに戻って体を休めていると、、、。

見知らぬ土地でたくさんの客人です。

『こんばんは!』 と次々温かいシチュウの差し入れに始まり、ビールなど飲み物

朝飯に食べて! と食べ物をお届け頂きました。

最後には地域の方から親子でボランティアに来ていただいた方がお見えになっていると

連絡があり、役場の役職の方と思われる方がビールをたくさん抱えて来て頂き

どこまで人情深い町なんだ! と驚いてしまいました。

町の全ての方々が辛い思いをして、皆で協力して乗り切って、受けた恩を

少しでも返して行きたい。 と地域全体でお考えなのだと言う事を肌で感じました。

本当に良い旅です。来てよかったです。ヒッチハイクの旅にして良かったです。

擦り切れた心が修復していくことが自分で分かるんです。 感謝いたします。

すべての出逢いに感謝です。

次回は、心ちゃんの生まれ代わりです

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